大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

函館簡易裁判所 昭和46年(ろ)2号 判決

被告人 野田千代吉

大七・六・一〇生 会社員

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は、

柴谷昭吉は昭和四五年五月四日午後六時三〇分頃、亀田郡亀田町字富岡一九一番地の一、アオヤマストア前附近道路において、丸山きぬみの停車合図により自己の運転していた乗用自動車を停止して開けた左側自動開きドアに右自動車に乗車しようとした児玉典子(当時四才)の顔面が接触して負傷した交通事故を発生させたところ、被告人は柴谷昭吉に対し右負傷は交通事故によるものでないから警察官に事故報告をする必要がないから報告しないよう申し向けて事故不申告を教唆し、よつて柴谷昭吉は右事故発生の日時、場所等法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつたものである。

というのである。

一、そこで、検討するに、先ず本件事実の経緯については、概要次の如き事実が認められるのである。

即ち、(証拠略)によると、本件において、所謂本犯者とされる前記柴谷昭吉は函館市千歳町所在の五番タクシーの運転手であるところ、前記公訴事実記載の日時頃、営業車である普通乗用自動車を運転して、同じく前記事故現場附近を、走行中、丸山きぬみの合図を認めて、右事故現場に停車し、同女及び同女が伴なつていた前記本件被害者である児玉典子らを乗車せしめようとして、開けた左後部とびらへ、右丸山の手許を離れて駈けよつた右典子が衝突して同所に転倒したものであること、その結果顔面に後記負傷をしたため、右柴谷において直ちに右同女らを同乗せしめて、亀田郡亀田町字本町所在の亀田病院に連れて行つて治療を受けさせたところ、同負傷は、同院の医師倉岡三郎作成の診断書によると、加療二週間を要する顔面挫創兼頭部外傷I型の傷害であつたこと、そうして右同女の治療待合中、柴谷において同病院から、前記場所の自社営業所に電話で本件事故について連絡したこと、その後手当を終えた右同女らをその自宅まで送り届けてから午後八時頃前記営業所に戻つたこと、そこであらためて被告人に事故の内容を話して交通事故になるかどうかの相談をしたものであること、その結果被告人から右に関しなんらかの助言のあつたことが認められるのである。

一、ところで、道路交通法第七二条一項後段では、「交通事故」の場合には、当該車両の運転者に対し直ちにもよりの警察署の警察官に当該交通事故の日時、場所等所定の事項を報告すべきことを義務づけている。

この交通事故報告制度の趣旨とするところは、個人の生命、身体及び財産の保護、公安の維持等の職務を執行する警察官をして、速やかに右各同条所定の事項を知り、被害者の救護及び交通秩序の回復について当該車両等の運転手らの講じた措置が適切であるか否か、さらに講ずべき措置はないか等判断させて万全の措置を講じさせようとするところにあると考える。(名古屋高裁金沢支部昭和三九年七月二一日、東京高裁昭和三九年一〇月二七日、大阪高裁昭和四四年三月六日付各判決参照)

従つて、同条一項後段の「直ちに」とは、時間的にすぐということであり「遅滞なく」又は「すみやかに」というより即時性が強いところのものであると言うことが出来るのであつて、唯、右報告義務と負傷者の救護義務とが競合した場合には、もともと前者は後者のための手段であり、後者の目的に奉仕するものであることに鑑みるならば、もとより、先づ救護措置を執るべきであることは、法上の規定を待つまでもなく事の性質上当然であるが、然し逆に報告の措置はかような右目的に必要な措置のためにその限度で遷延が許されるに過ぎず、その他の行為に時間を藉してならないものと解するのが相当である。(大阪高裁昭和四一年九月二〇日判決)

蓋し、前記同条の交通事故報告制度の前記趣旨に鑑みるならば、報告の即時性こそ、右趣旨を実効性あらしめる所以であつて、同制度にとつて、可及的速やかな報告に如くはないのであり、そのこと自体が、同制度の基本的要件をなすものと言うを妨げないのである。

然らば、他の要件は別として、右の点はしかく厳格に解すべきものと思料され、例えば、会社の意向を打診のためにとり敢えず帰社の上指示を仰ぐとか、事故が同条に規定の交通事故にかかるかの判断につき、他の意見を徴するに必要な時間を藉す如きは、全く許容しているとは認め難いのである。

一、そうであるならば、本件においては、柴谷の報告義務は、被害者である典子が、前記亀田病院で手当を受けている間の待合中会社に電話した際に、警察に電話する機会も充分あり得たと認められるのでこの時点で、発生したと考えられるし、仮に電話での報告に疑義があつてかかる方法による届出を思いつくに至らなかつたとしても、被害者をその自宅に送り届けて後、自社の営業所への帰途、途中もよりの警察署に立寄る程度のことは容易にし得た筈であるから、少くなくともこの時点では、右報告義務の発生は否定出来ないと考える。

然らば、これを怠つて漫然前記営業所に立戻つた時点で、本犯者である柴谷の道路交通法第七二条一項後段に言うところの交通事故申告義務違反の罪は、完成し既遂に達したものと言わざるを得ないのである。

一、一方助言をもつて他人の犯罪に加功した場合については、その助言が、他人の犯行を決意せしめたるものなれば教唆犯が、之に反して他人の既発の犯意を強固ならしめたる場合には幇助犯が成立するものと考えるところ、(大審院大正六年五月二五日判決)いずれにしても右の如き講学上に言うところの狭義の共犯が成立するには、完成前の他人の犯罪に加担するのでなくてはならないことは言うまでもないところである。所謂従犯にしても、事後従犯の如きは存在しないのである。(教唆犯につき大審院大正一五年五月一九日、従犯につき、同明治二八年一一月四日各判決)

一、以上、そうであるならば、本件において被告人が、共犯者たり得るには、前記事実の経過に照らして被告人の柴谷に対するなんらかの教唆行為が、右柴谷の前記営業所に立戻る以前に存在した場合でなくてはならないことは明らかであろう。

換言すれば、右時点以後においては柴谷になんらかの翻意があつたとしても、それは情状酌量として量刑事情に影響はあるは格別、本件犯罪成立そのものには、なんらの消長はなく、従つて又、その翻意を妨げたからと言つて、教唆者になんらの責任を生ずる筋合ではないのである。

そこで、この点に関して本件について見るに、成程前記のとおり、本件事故後、柴谷は前記営業所に立戻る以前に一度会社宛に電話で事故報告をしている事実があり、且つ証人大地幸吉、同柴谷昭吉の当公判廷における証言、並に被告人の司法警察員に対する供述調書によれば、これを受けた相手は被告人であつた事実は認められるものの、この際に被告人からなんらかの助言や指示の類があつた事実は認められないのである。

(もつとも、右大地証言には、その際に被告人から「届出けるのを待て」と言うので、届けなかつたと柴谷は供述していたと言う供述部分があるのであるが、同時に弁護人の反対尋問ではこの点会社に帰つてから指示されたと言つていたように記憶していると前言を否定する証言をしているのであつて、更にこの点当の本人である柴谷の当公判廷における証言では、右電話で報告した際には、電話の相手方からは、何の指示もなかつた旨を明言しているのであつて、然らば、先の大地証言部分は全く問題視するに足らないと考える。

のみならず、本件においては、柴谷は当初から、本件事故は、停車中の開扉のとびらに、被害者である前記典子が駈け寄つて勝手に衝突したものであつて、言わば、その過失は一方的に被害者側にあり、自己に全く責任はないと考えていたふしが認められ、従つて又、当初は事故申告の意思などは全くなかつた事実が窺われるのである。

事実、本件事故態様は、大地証言にも認められるとおり、事実の認識の仕方によつては、警察官で事故係でもある同証人ですら交通事故と言えるか一概に判断しかねる場合もある事案であつて右柴谷の判断の程には一応の理由があり、従つて、始めから届出の意思はなかつたとする同人の当公判廷における証言は充分措信するに足ると考える。

むしろ、同人の検察官に対する供述調書での、被告人の指示によつて届出しなかつた旨の供述は、未だ刑責の定まらぬ時点での責任回避又は軽減のための弁解に過ぎぬと認められるのである。

かような意味で、よしや仮に被告人に使嗾の事実が認められるとしても、本件はたかだかその幇助犯が成立するに過ぎない事案であると考える。)

一、その他、いずれにしても、右時点、即ち、右柴谷が、事故後、前記営業所に立戻るまでの間、被告人との間に接触又は交信の事実を窺わせる証拠はなく、従つて又この間に被告人が不申告を慫慂し、或は助言を与えた事実の如きは、全く認められないのである。

そうであるならば、その後に公訴事実記載の教唆行為が仮にあつたとしても既遂後のものと言う他はなく、道路交通法第七二条一項後段の教唆犯の成立はもとより、幇助犯の成立の余地も全くないと言わざるを得ないと考える。

一、なお、因に弁護人は、土台本件事故は、右同条所定の「交通事故」にかからない事案である旨を主張するが、この点について一応付言する。

(証拠略)を綜合すると本件人身事故は、車両の開いたとびらの先端が、衝突点に達するのと殆んど同時位に前記典子が同地点に駈け寄つたものと認められるのであつて、然も右開扉は、停車とほぼ同時位になされたものであることが認められるのである。

そうして、一方「交通事故」によると言うためには、成程「交通」状態における事故を言うにしても、事故の発生が常に動的状態における車両によるものであることを意味せず、前記同条の趣旨に照らして一般往来(道路)上において現に通行中、或はこれと同視出来るもの、即ち停止間もなくの状態での車両によつて惹起された車両自体の機能による事故であれば足りるものと解され、過失の有無、事故の大小の如きは問うところではないと考える。

然らば本件の如く、停車、開扉の一連の時間的に間がない措置と、これが措置に直接起因する本件接触事故は、これを交通事故と言うになんら妨げざるものと解す。

一、以上の次第で、本件は結局前記のとおり犯罪の証明がないことに帰するから刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をするものとする。

よつて主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例